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チネリの愛し方

僕には偉大な叔父がいます。
叔父のアントニオ・バイレッティはローマ五輪(1960年)のチームTT100kmで優勝、ジロ・デ・イタリアで2ステージ、ツール・ド・フランスでも2ステージで勝利を収めているので、レースに詳しい人なら名前を聞いたことがあるかもしれません。

そんな家庭環境の中で自転車レースを始めるというのは、普通に考えれば重圧がかかりますが、僕は気にしませんでした。だって、自転車は有名選手になる手段ではなく、僕は自転車に乗るのが大好きで、それが目的だったので、特別に気にするべきことではなかったんです。

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はじめまして。
チネリのパオロ・バイレッティです。
セールスマネジャーをしています。

今、思い出してもプロサイクリストで経験したことは素晴らしかったですね。人に誇れるような成績は残せなかったけど、どんなレースも、その一瞬一瞬を今も忘れることはありません。

2008年、ジロ・デ・イタリアの第5ステージ。
残り20km、僕は逃げに乗ることに成功しました。上手くいけば、自転車人生でもっとも輝かしい成功を収めるチャンスです。期待と緊張に満ちた美しい時間でした。しかし、下り坂で前輪のグリップを失い落車してしまいました。

地面に触れたとき、しばらく息ができませんでした。
5分前までの夢のような時間は完全に消えてしまいましたが、ロードレースではよくあるシーンです。立ち上がってゆっくりとゴールに向かいました。

翌日は、それまでの人生で一番苦しかった日でした。ポテンツァ(南イタリア)からスタートするコースは、50kmほどアップダウンが連続していました。

最初の1時間はフルガス(全力)で走りましたが、スタートからわずか2kmで、私は最後尾の車列の中にいました。落車による骨折の痛みは激しくて、ペダルを踏むたびに背中にナイフが刺さるようでした。

僕は前方を走るチームメイトのことばかり考えていました。諦めようとは思わなかったですね。こんなに苦しい時間を乗り越えられるとは想像できなかったけど、トップから7分5秒遅れの140位でゴールしました。

レースの成績としては140位です。でも、それ以来、僕はすべての問題にチャレンジするようになりました。スポーツでも仕事でも、自分自身を向上させ、より良い人間になるために挑戦できるようになりました。

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引退、新しいスタート……
現役当時、将来のことを考えるというのは、むずかしかったですね。
いつまでも現役を続けられないのは分かっているんだけど……

もっと強く、もっと速く走りたい

ということばかり考えてました。引退後の生活について考え始めたのは、最後の2年ぐらい。選手仲間はレースの世界に残ろうとする人が多かったですね。マネージャーになったり監督になったり。

自分はどうしようって考えたときに、これまでの経験や知識を生かすのは、やっぱり自転車ビジネスの世界なのかなと。ただ、20年間、レースばっかりやってきたので、レースの世界じゃなくて、もうちょっと広い世界で経験を役立てたくなりました。

そこで、グルッポ(チネリの親会社)に自己アピールを書いたメールを送ってみました。イタリアにはいろいろな自転車メーカーがありますが、チネリが発するメッセージが好きだったし、僕が最初に乗ったスポーツバイクがチネリだったというのも理由でした。

2013年、念願が叶って入社できました。イタリア国内の営業として2年間勤めました。仕事や会社に不満はなかったですね。けれど、他の会社や世界はどうなっているんだろうという好奇心が抑えられなり、サドルメーカーのプロロゴに転職しました。この会社も2年で辞めてしまうんですけど、OEMというメーカー相手の仕事を担当しました。おかげでいろんな自転車メーカーのことを知ることができました。これは新しい視点を与えてくれるという意味でも、いい経験でした。

プロロゴ時代は毎日、本当にいろんな会社に行きました。そして、当たり前のことですけど、見事に全部の会社がチネリと違う。簡単に言うと、サイクリングしかないんです。社内の壁に絵画が掛かっていたり、文化を感じるのはチネリだけです。オフィスにいるだけで文化を呼吸している感じがあるんです、チネリには。だから、元上司のファブリッツォから「今、なにしているの?」と電話があったときは家族としての愛情を感じたし、チネリに戻れることになって本当に嬉しかった。

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片道70㎞のツーキニスト
僕の典型的な1日は、結構、退屈です。
起きるのは5時45分。自宅と会社の距離は70㎞あり、ざっと自転車で2時間ほど。条件が許せば、通勤は自転車です。

朝食は必ず摂ります。といっても、イタリア人の朝食は質素で有名ですから、大した量は食べません。選手の頃はしっかり食べていましたね。それこそ食べられるだけ腹に詰めこんでいました。今はコーヒーを飲んで、ヨーグルトかシリアル、ちょっとビスケットをかじったりすることもあります。いずれにせよ、なにかしら食べます。

イタリアでは朝、カプチーノを飲む人が多いのですが、ミルクが入ると胃がもたれるので、自転車に乗る日のコーヒーはエスプレッソにします。食事を終えたら着替えます。自転車のチェックや着替えの準備は、前の晩に終えておく。それが僕のルーティンです。

レーサーシューズを履く頃になると、彼女が目を覚まします。家を出るのは6時20分。僕の住んでいる街にはナヴィリオ・グランデという運河があって、ミラノまで川沿いの自転車レーンを走ります。自然に恵まれたエリアですから、日が昇ってくる本当に美しい朝の景色がみられます。

最初の50㎞はクルマがまったくいません。とても静かで、1日の中でもっとも大好きな時間です。

自転車に乗るときに心掛けているのは、その時間を楽しむこと。
音楽を聴きながら、すばらしい景色の中を走ります。ステキでしょ。
でも、僕は長い時間イージーライドをするのが苦手なんです。

前を走っている人をみると一生懸命、追いたくなってしまう。常にチャレンジして、ちょっと苦しみたくなる。バカだなぁと思うんですけど、苦痛の中に現役だった時の快楽もあるんでしょうね。

ミラノの街に入ったら、ヘッドセットはポケットに入れます。市街地を通っているときは、いろんなことに気をつけなければならないですが、嫌いではなくて、むしろ好きです。この要注意エリアが7〜8㎞あって、残り10㎞はリラックスして会社まで走れます。

着いたら、すぐにシャワーを浴びに行きます。服を着替えて、20分ぐらいかけて倉庫の人とか、いろんなに挨拶をします。ちょっと世間話をしながらエスプレッソを入れると、だいたい8時50分ぐらい。フレックスタイムなので、早く会社に到着したときは、その分、早くから仕事を始めます。

仕事が終わる時間は日によって違いますが、自転車通勤のときは18時30分には終えるようにしてます。冬場は自転車通勤をしないんですけど、シーズン中は週に3回ぐらいは乗っていきます。ってことは、通勤だけで12時間。他に週末も乗るので、自転車好きは子供の頃から今も変わらないですね。

というわけで、家に着くのが20時30分ぐらい。サッとシャワーを浴びてから夕食を作ります。彼女は料理が下手なので、僕が積極的に作っています。この話は彼女の前では言えないですね。

寝るのは0時ぐらい。以前はたくさん寝ていましたけど、やるべきことが多いので、早く寝ようと思っても、やり残したような気持ちになってしまいます。これが、僕の典型的なつまらない1日です(笑)

テストライダーとして……

自転車でレース結果が変わることは、極々わずかなことです。特に最近、プロが使っている機材はさして変わりません。80年代のスチールバイクと今のカーボンバイクを比べたら、それは大きく違います。でも、最新のトレックとスペシャライズドで、そんなに違うと思いますか?

それぞれにフィーリングが違うし、長所と短所があります。でも、去年のツアー・ダウンアンダーでP・サガンがアルミフレームを使って、ステージ2位になりました。カーボンだったら、ひょっとしたら勝っていたかもしれないけど、それは誰も証明できないですよね。

少なくとも、アルミフレームだって勝負に絡めるってことに間違いはない。ロードレースにおける自転車の役割というのは、その程度のこと。それなのに、みんながいい自転車、楽しい自転車を探しているというのは、とてもおもしろいし、その源になっているのは愛情ですよね。

勘違いされないように言っておきますけど、タイムトライアルは違います。あれは機材の占めるウエイトがロードレースよりも大きい。最大で1時間ぐらいの競技だし、ほんのわずかな差で結果が大きく変わりますからね。

自転車の性能には動的と静的の2つの性能があります。
趣味においては静的なことがとても大事です。たとえばライド中にカフェで休憩するとして、店に入る前に見とれてしまうバイクもあれば、振り返ることもなく店内に入ってしまうバイクもある。

好きになる理由はそれぞれですが、自転車がオーナーを惚れさせたなら、それはもう立派な性能の1つだと思います。趣味の人にとって、そう思えることはとっても大切でしょう。

チネリは自分の子供みたいな存在です。成長する過程をを見てきたから、世話をやきたくなるし、喜びを与えてくれる。なぜ、この自転車が生まれ、どうしてこの形になったかを知っているせいでしょうね。だから、ある種の責任も感じます。

ちょっと哲学的な話になってしまいますが、
サイクリングとは何か。
社員一人ひとりが、その視点を追求し続けているのが、
チネリというブランドです。

大切なのは商売上の成功や正解だけじゃない。もちろん、失敗ばかりでは困るんですけど、商売的にはあえてむずかしい挑戦をしてしまうことも多い。それはグラフィックだけでなく、コンセプトにおいてもです。

サッカー選手のR・バッジョが現役当時、
「その時、選択できるもっともむずかしいパスを出す」と言っていました。我々も、それと同じことをしばしばやっています。お金儲けだけなら、もうちょっと易しい方法もあるでしょう。でも、それをチネリらしくやるのは、とてもむずかしいんですね。

議論を対立させるのではく、多くの話し合いをしながらコンセプトにしたがって磨き上げる。それがアントニオ(コロンボ社長)のやり方です。最終的には彼が決めますが、どっちに行くべきかを徹底的に話します。

多くの時間を費やし、皆が納得できるようにアントニオが決定し、説明してくれます。だから、方向性さえ決まってしまえば、あとは一致団結して製品を作り上げていきます。

現在のメインバイクはキング・ジデコです。仕事として乗るのも、プラベートで乗るときも分け隔てしません。グチャグチャですね。立場上、いろんな自転車に乗ります。これは恵まれていると思います。

ニューモデルに初めて乗るときは、無理をしません。
まずバイクに慣れる。

それから自分の限界まで走ってみます。スプリントしたり、高速でコーナーを走ったり、ブレーキングも限界まで追い込んでみる。

これは選手だった頃、自分に自信を与えるためのやり方だったんです。このバイクは大丈夫なんだと、自分に確信させるための儀式みたいなものなんです。

通常、プロ選手はトレーニング用とレース用、あとスペアバイクを持ってます。でも、僕は常にレース用と同じバイクに乗っていたかった。自転車と一体化するためには、そうする必要があったんです。

サイクリストとして上達したいと思うなら、自転車のこと、ブランドのことをもっと学んでください。
なぜ、チネリはこのように作ったのだろう……と思いを馳せてみる。そうすいると、分かってくることがいくつもあります。

歴史も大切、と僕は思っています。長い時間をかけて培われたブランドには、共通する骨子があります。そういったものを感じ、考えながら乗ると、さらにチネリ製品をエンジョイできると思います。

今年もチネリキャンプで日本に伺いたかったのですが、残念ながら、それもままならない状況です。現在、サイクリストがすべきことはナニか? それを突き詰めて考えてみてください。きっと、チネリを理解するヒントが得られると思います。また、皆さんに会えるのを楽しみにしています。

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パオロ・バイレッティ
1980年7月15日生まれ。2002年U-23イタリア選手権で優勝。その後はプロのサイクリストとして8年間を過ごす。元世界チャンピオンのパオロ・ベッティーニは遠戚にあたる。