標高差3275m! 世界最高難度のヒルクライムレースにペグで参戦
世界でもっともハードなヒルクライムレースに出場する。数年前ならつまらなく、悪い冗談にしか聞こえなかっただろう。しかし、参加して、完走した。しかも2度も。
MTBのダウンヒル競技で世界を回っていた僕にとって、ロードバイクのサイクリングは平和すぎるというか、少々刺激が足りないと思ってきた。だが、ペグの卓越したハンドリングと快適性を発見してから、同じコースを走ってもオンロードサイクリングの景色が一変した。とりわけ、曲がりくねったコーナーが連続する峠道がワクワクしたものになった。
「発見」という言葉はおかしい。この自転車を開発したのは僕なのだから。ロードバイクのハンドリングを限界まで磨き上げた結果、僕が開発したペグは追い求めていた以上の性能になったと思う。いい結果がでる保証はなかったけど、これまでサイクリストとして体験した愉しみと、開発者として蓄積したノウハウを全て注ぎ込み、思い切った挑戦をした。
ペグはハンドリングだけに優れたバイクではない。ヒルクライムを苦手だと思ったことはないし、妻はペグでロングライドもこなす。
2020年、僕はペグで17000㎞を走り、獲得標高はなんと250㎞にも及んだ。もっと多くの距離を走っている人もたくさんいるだろうし、内容だってプロ選手と比べれば大した数字ではない。それでも、こんなにも長い距離を楽しくサイクリングをしたのは初めてだし、それがペグのおかげなのは間違いない。加えて言うと、減量にも成功したし、Stravaの区間タイムも向上した。
ペグから得た副産物はたくさんあり、台湾の自転車仲間から台湾KOMチャレンジに誘われたことも、その1つだ。
台湾KOM(King Of Mountain)チャレンジは、全長105Km、海抜ゼロ地点の花蓮七星海岸をスタートし、タロコ渓谷の絶景(と危険!)の中を抜けて台湾の道路最高地点となる合歓山の武嶺峠3275メートル地点でゴールする。立霧渓沿いに岩肌をくりぬいてルートを引いた細い峠道は、世界的に高い評価を得ているすばらしい絶景を誇る。
ただ、落石区間もあり自転車レースとして最高とは言い難い。とりわけ最大勾配27%という壁のような区間もあり、標高差だけでなくキング・オブ・マウンテンに相応しい内容なのだ。
そして、台湾の本格派サイクリストは、1人の例外なく台湾KOMチャレンジの経験者だ。この大会にはツール・ド・フランスで個人総合優勝したV・ニバリやC・エヴェンスが参加したこともあり、日本のプロ選手たちも毎年参加する。イギリスの自転車メディアGCNは“世界でもっとも過酷なヒルクライムレース”と格付けている。
普通のサイクリストなら、こんな難関に挑戦するときは相応しいトレーニングをする。けれど、僕はバイクライドをエンジョイするだけだった。体重はベストよりも10㎏以上も重く、トレーニングプランもなかった。そもそも僕はクライマーではない。ベルギーでのレーサー時代、ライダーは明確に定義されていた。
スプリンタ-(およびトラック競技者)
ハードライダー(とTTスペシャリスト)
シクロクロッサー
そして、ヒルクライマー
いうまでもなく、最後のカテゴリーには一度も所属したことがない。しかもこの期に及んで、自分の関心は機材にばかり向いている。ボルトをチタンにしたり、その日だけ特別な軽量化を施そうか、どのようなギアレシオを用意しようか……そんなことばかりが頭の中を駆け巡り、自分自身や今置かれている事態に考えが向いていなかった。
仲間たちの記録を見る限り、なんとか完走はできるだろう。しかし、僕が見ているのは仲間が近所の丘で残した記録であり、ステルヴィオ峠より長くて標高差のある峠ではない。
自分の限界を超えるライドになる。
でも、きっと上手くいく。
結論から言うと、僕は無事に完走した。ただ、どう控えめに言っても、キツかった。2020年のレースは雨がひどくて寒かった。スタート直後にペースを上げすぎたせいで先頭グループに着いていけず、ほとんどの区間を1人で走った。さらに、補給食をしっかり摂らなかったので、最後の30Kmは痙攣を繰り返し、その都度、歩くことになった。総合123位(出走668名のうち完走者211名)。それでもペグで完走できたので、とてもうれしかった。
2021年はパンデミックで多くのレースが中止された。2022年になりふたたび春のKOMに参戦することにした。準備として1月と2月にレースに出場した。2月の“梅山36彎挑戰賽”(36曲がりチャレンジ)では、驚くべきことに3位になった。長いワインディングの下りや向かい風区間が多くあったので、ペグに乗った私が(不公平に)有利であったことは間違いないが、望外な好成績だったと言える。
2022年3月21日、午前6時30分。
スタート時には大雨も止み、20㎞のパレード区間を終えると、時折、晴れ間も出てきた。前回の失敗から学んで、早々とトップグル-プを先に行かせる。自分のペースを守って3時間半ほど淡々と上っていると、お腹がキリキリと痛み始めてスピードが落ちてきた。前回のガス欠を反省して口にした大量の食品と飲み物が消化できていない。ペースを落として筋肉が痙攣しないように超軽いギアで終盤のキツい上りをこなすことにした。
最後の10Kmに差し掛かって、その厳しさを思い出した。冷気が容赦なく体温を奪い、ついには雨も激しく降り出した。あと少し。10Kmならなんとかなりそうだが、後半にキツくなるのが台湾KOMチャレンジの厳しさだ。文字通り這うような状態の人間には、短い距離でさえ予想外に時間を要する。
最後の5キロでは手と足の感覚がほぼなくなった。それでも一緒にペグで参加したデイブが総合15位、年齢別カテゴリーで3位に入ったことを聞くとやる気が出てきた。結局、僕も総合40位、年齢別3位という予期しなかった好成績を残すことができた。主催者が用意したバンの中で着替えながら、2度とやらないと誓った。
振り返ってみれば、天候には恵まれなかったけど、2度の完走はとても幸運だった。天気もコンディションもいい時に、同じコースを上ったことがあるが、得られたものはレースと違った。台湾KOMチャレンジは経験してみないとわからない。一生に一度はやってみる価値がある。
息をのむ景観、参加者の一体感はべつにして、このイベントを「楽しみとして」完走する人は誰もいない。走っている時間の半分以上は、完走できるのかと自問しつつ、苦しみを中断するための言い訳を探しつづける。
でも、完走して疲労が抜ければ、例えがたい高揚感がやってくる。この過酷なレースの完走者は、再びスタートラインに戻ってくる。それまでに十分な準備が必要なことを学び、前回を上回るトレーニングをしても、依然として完走するのは簡単ではない。
それでも繰り返し参加するのは、「自分が走れる間に走っておきたい」からだ。とてつもない経験も、単なる思い出にすぎなくなる日が来るのだから。